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国立西洋美術館
国立西洋美術館
〒110-0007 東京都台東区上野公園 7-7


  

国立西洋美術館 The National Museum of Western Art, Tokyo

ピカソその時代ベルリン国立ベルクグリューン美術館展

パブロ・ピカソ(1881-1973)、パウル・クレー(1879-1940)、アンリ・マティス(1869-1954)、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)
& ポール・セザンヌ(1839-1906)、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)

PICASSO and His Time
Masterpieces from Museum Berggruen / Nationalgalerie Berlin

 ベルリン国立ベルクグリューン美術館は、ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティという 20 世紀の 4 人の巨匠を中心とする個性的なコレクションを所蔵しています。
 その基盤を築いたのは、第二次世界大戦後パリで美術商を営んだベルリン出身の収集家ハインツ・ベルクグリューンでした。
 本展覧会は、同館のコレクションから精選した 97 点の作品に、日本の国立美術館の所蔵・寄託作品 11 点を加えた合計 108 点で構成されます。 日本初公開の 76 点を含め、ベルクグリューン美術館の主要作品を館外で一堂に展示する最初の展覧会です。

 本展の主軸となるのは、ピカソの 「青の時代」 から晩年までの各時代を代表する作品です。 ベルクグリューン美術館が誇るピカソの名作の  数々により、20 世紀最大の芸術家の足跡をたどります。 さらに、バウハウス時代を中心とするクレーの絵画 34 点、マティスの晩年の境地を示す切り紙絵、ジャコメッティの円熟期の人間像などを加え、創造性に溢れた 20 世紀美術のエッセンスを紹介します。


会期: 2022 10/8 [土]2023 1/22 [日]  東京展は終了しました。
休館日: 毎週月曜日、7/19 [火] (ただし、7月 18日(月・祝)、8月 15日(月)は開館)
開館時間: 午前9時30分 ― 午後5時30分 (金・土曜日は午後8時まで)
※入館は閉館の30分前まで

会場:
国立西洋美術館 東京・上野公園
主催:国立西洋美術館、ベルリン国立ベルクグリューン美術館、東京新聞、TBS、共同通信社


※大阪・巡回展
   会期: 2023 2/4 [土] 5/21 [日]  大阪巡回展は終了しました。
会場: 国立国際美術館 大阪・中之島
主催:国立国際美術館、ベルリン国立ベルクグリューン美術館、産経新聞社、MBS テレビ、共同通信社


'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」 のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・資料などからの抜粋文章です。
画像をクリックすると 関係者挨拶・紹介「田中 正之(国立西洋美術館 館長)、ヨアヒム・イェーガー博士(ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長)」
のご挨拶が大きな画像でご覧いただけます。

プレス・セレモニー「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」

プレス・セレモニー 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン」
主催者ご挨拶
国立西洋美術館 '2022 10_7

左側から 「展覧会キュレーター、担当研究員紹介」
ベルリン側キュレーター
ガブリエル・モントゥア博士(ベルリン国立ベルクグリューン美術館統括責任者)
ヨアヒム・イェーガー博士(ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長【前館長】)
国立西洋美術館
田中正之(国立西洋美術館館長)
日本側キュレーター(監修者)
村上博哉(武蔵野美術大学教授、国立西洋美術館前副館長)
国立西洋美術館担当研究員
中田明日佳(主任研究員)
久保田有寿(特定研究員)


ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展

【展覧会の見どころ】 ― 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」 図録、プレスリリースなどからの抜粋文章です ―

 ベルリン国立ベルクグリューン美術館のコレクション(ベルクグソューン家による多数の寄託作品を含む)は、パブロ・ピカソ(1881-1973)、パウル・クレー(1879-1940)、アンリ・マティス(1869-1954)、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)という 20 世紀の 4 人の芸術家に焦点を当てているところに、際立った特色がある。

 さらに、この4 人の作品を補完するものとして、彼らがいずれも私淑したポール・セザンヌ(1839-1906)と、ピカソのキュビスム時代の盟友ジョルジュ・ブラック(1882-1963)の作品が加えられます。

ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」 の展覧会、全 序 ・ 7 章の構成。
序. ベルクグリューンと芸術家たち
Ⅰ. セザンヌ―近代芸術家たちの師
Ⅱ. ピカソとブラック―新しい造形言語の創造
Ⅲ. 両大戦間のピカソ―古典主義とその破壊
Ⅳ. 両大戦間のピカソ―女性のイメージ
Ⅴ. クレーの宇宙
Ⅵ. マティス―安息と活力
Ⅶ. 空間のなかの人物像―第二次大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ


稀代のコレクターが選び抜いた 20 世紀美術のエッセンス、
日本初公開作品は 76 点 !

'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・展覧会パネル、資料などからの抜粋文章です。

・画像をクリックすると 「Ⅰ. セザンヌ―近代芸術家たちの師」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。

パブロ・ピカソNo.1《眠る男》、アンリ・マティス《パリ、ベルクグリューン画廊の展覧会(1953 年)のためのポスター図案》

序. ベルクグリューンと芸術家たちIntroduction: Berggruen and Artists
 展覧会の導入部では、美術商としてのハインツ・ベルクグリューンの活動と、美術コレクターとしての出発を、象徴的な 2 点の作品と関連資料によって紹介する。
 ベルクグリューンは第二次世界大戦後まもない時期から、パリのシテ島の一角で版画を扱う小さな画廊を営み、1950 年にセーヌ左岸の閑静なユニヴェルシテ通りへ画廊を移した。 彼はそこで、20 世紀美術専門のディーラーとして 1980 年からは、パウル・クレーの版画展を皮切りに、瀟洒なカタログを伴う企画展を開いている。 ここで紹介するマティスの切り紙絵 (cat No.2) は、ベルクグリューン画廊での展覧会のために画家が自ら制作したポスター図案である。 これをポスターに使うことは結局見送られたが、1953 年の 「アンリ・マティス:切り紙絵」 は、切り紙絵だけで構成された最初の展覧会として歴史的な意義を持つものとなった。
 一方、ベルクグリューンのライフワークとなったピカソ作品の収集も、やはり 1950 年代に始まっている。 画家と親交のあった詩人ポール・エリュアールから 1952 年に購入した素描 《眠る男》(cat No.1)は、ベルクグソューンが自分のコレクションに加えた、記念すべき最初のピカソ作品である。

・No.1 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 眠る男 》  1942年 墨、紙 50 x 65 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館、ベルクグリューン家より寄託 / ・No.2 アンリ・マティス(1869-1954) 《 パリ、ベルクグリューン画廊の展覧会(1953 年)のためのポスター図案 》  1952 年 グアッシュ、紙、画用紙 55 x 40.3 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館

 ・No.1 パブロ・ピカソ 《眠る男》 本作品には 1942 年 12 月 13 日の日付が記されている。 当時、パリを含むフランス北部はナチス・ドイツによる占領下にあり、ピカソは作品の発表を禁じられ、ゲシュタポの厳しい監視のもとで制作を続けていた。 この素描は、ハインツ・ベルクグリューンが 1952 年に詩人ポール・エリュアールから購入した後、自分自身のコレクションに加えた最初のピカソ作品である。 / ・No.2 アンリ・マティス 《パリ、ベルクグソューン画廊の展覧会(1953 年)のためのポスター図案》 マティスの切り紙絵は、独立した作品としてというよりも、 美術雑誌『ヴェルヴ』 の表紙や、アートブックである「ジャズ」、あるいはタペストリーとして制作された。


・画像をクリックすると 「Ⅲ. 両大戦間のピカソ―古典主義とその破壊」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。

パブロ・ピカソNo.8《ジャウメ・サバルテスの肖像》、No.9《座るアルルカン》

Ⅱ. ピカソとブラック―新しい造形言語の創造Picasso and Braque: The Invention of a New Formal Language
  この章では、「青の時代」 の後期に描かれた 《ジャウメ・サバルテスの肖像》(cat. no.8)、「バラ色の時代」 の逸品 《座るアルルカン》(cat. no.9) に続き、 古代イベリア彫刻とアフリカの部族彫刻に触発された 1906-07 年の大きな造形的転換、1908-14 年におけるキュビスムの探究、そして 1910 年代後半から 20 年代前半における静物画の変容の過程をふりかえる。 芸術作品と現実との間に新しい関係を開いたキュビスムの造形は、20 世紀の美術に最も重要な革新をもたらした。 これまで日本ではピカソとブラックのキュビスムに関するまとまった展観の機会がなかったが、この章ではベルクグソューン・コレクションの絵画、彫刻、素描およびパピエ・コレに、日本の国立美術館(国立西洋美術館、国立国際美術館と東京国立近代美術館) が 所蔵する 1 点のピカソ、2 点のブラックの絵画を加え、ふたりの芸術家の緊密な共同作業によって進められたキュビスムの展開をたどる。

・No.8 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 ジャウメ・サバルテスの肖像 》 1904 年 油彩、カンヴァス 49.5 x 37.5 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.9 パブロ・ピカソ(1881-1973)  《 座るアルルカン 》 1905 年 水彩・黒インク、厚紙 57.2 x 41.2 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.10 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 女の頭部 》 1906-07 年 テンペラ・黒インク、紙 62 x 47 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館

・No.9 《座るアルルカン》 1905 年、ピカソの絵画は沈鬱な青から柔らかなバラ色へと大きな変化を遂げることとなる。 この前年、バルセロナを離れパリに定住することを決めたピカソは、やがてモンパルナスにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれる集合住宅に移り住んだ。 まるでセーヌ川に浮かぶ洗濯船のような古くて狭いこの住まいには、駆け出しの芸術家たちが身を寄せ合うように暮らしていた。 ピカソはこの場所で、多くの画家、詩人、画商、批評家らと交流を持ち、その交友関係を広げていく。 ここでの新たな恋人でモデルのフェルナンド・オリヴィエとの暮らしは貧しくも穏やかなもので、ピカソの絵画の温かな色調への変化は、その生活を物語っているかのように見える。


・画像をクリックすると 「Ⅴ. クレーの宇宙」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。

パブロ・ピカソNo.41《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》、No.44《横たわる裸婦》、No.48《女の肖像》、No.49《大きな横たわる裸婦》

Ⅳ. 両大戦間のピカソ―女性のイメージPicasso Between the Wars: Images of Women
  この章は、1930 年代後半から 40 年代初めまでのピカソの作品に表れた女性像の主題に焦点を当てる。 1936 年からピカソが個人的な関係を結んだ女性芸術家ドラ・マールは、斬新な構図によって彼女の個性を表現した 《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》(cat. no 41) をはじめ、この時代のピカソ作品の中で強い存在感を放っている。 また、1920 年代後半から大胆な変形が加えられるようになっていた裸体の女性像は、彼自身の女性感や不穏な時代の空気を反映しながら、ますます多様な形式に展開していった。
 ナチス・ドイツによるパリ占領の時期に描かれた 《大きな横たわる裸婦》(cat. no.49) は、展覧会の中盤のハイライトである。 ベルクグリューンはベルリンのシュテゥーラー館でコレクションの公開を始めた翌年、1997 年秋のニューヨークのオークションで、 この大作を落札した。 彼のコレクションはベルリンに安住の地を定めることで、個人的なものからパブリックなものへと性格を変えた。 そして、この記念碑的な裸婦像が全体の要として加わったことにより、彼のコレクションは新しい次元に達したと言うことができる。

・No.41 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 緑色のマニキュアをつけたドラ・マール 》 1936 年 油彩、カンヴァス 65 x 54 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・44 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 横たわる裸婦 》 1938 年 グアッシュ・ペン・インク、紙 26 x 34 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.48 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 女の肖像 》 1940 年 油彩、カンヴァスに貼った紙 64 x 46 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.49 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 大きな横たわる裸婦 》 1942 年 油彩、カンヴァス 129.5 x 195 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館

・No.41 《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》 1935 年秋から 1936 年初頭に、ピカソは友人で詩人のポール・エリュアールに紹介され、新進気鋭のシュルレアリスムの写真家ドラ・マールと知り合った。 ほどなくしてドラはピカソのパートナーとなり、新たなミューズとして彼の創作意欲をかき立て、1936 年の夏頃からその姿がピカソ芸術の中に現れ始める。 本作は、同年秋に描かれたドラの一連の肖像画の中でも、ピカソの彼女の容姿に対する強い関心を示し、その強烈な個性と美しさをみごとに捉えた 1 点である。 / ・No.49 《大きな横たわる裸婦》 1940 年 6 月、ドイツの侵攻にあえなく敗れたフランスは、ドイツとの休戦協定を結ぶ。 以後 1944 年 8 月のパリ解放までの 4 年間、ピカソはフランスでの作品発表を禁じられ、要注意人物としてゲシュタボの監視下に置かれながら、グラン=ゾーギュスタン通りのアトリエでひっそりと制作を続ける。 多数の芸術家がアメリカへ亡命し、あるいはナチス・ドイツの美術政策への妥協を示す中で、彼はパリに留まって自分の作品を作ることに専念した。 ピカソは 1941 年から 42 年にかけて、横たわる裸婦という伝統的な主題に取り組んだ。


・画像をクリックすると 「Ⅶ. 空間のなかの人物像―第二次大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。

アンリ・マティスNo.91《青いポートフォリオ》、No.90《ニースのアトリエ》、No.93《オパリンの花瓶》

Ⅵ. マティス―安息と活力Matisse: Repose and Vigor
 ベルクグソューンが 「現代フランスの最も偉大な画家」 と称賛したマティスは、彼のコレクションの中で、ピカソ、クレーに次ぐ重要性を与えられている。
 本章で紹介するベルクグソューン・コレクションのマティス作品は、静と動、あるいは安息と活力という対照的な性質を表しているようである。マティスのさまざまな時代から選ばれた油彩画と素描は、「画家のノート」 に記された有名な一節の通り、「均衡と純粋さと静穏の芸術」 の好例であり、にマティスの制作の中でますます重要性を高めていった切り紙絵は、純粋な色彩と簡潔なデッサンの総合であり、いずれの作例も生命力と躍動感に溢れている。
 マティスの切り紙絵は、油彩画を突き詰めた末に至った切り紙絵の手法において画家の手の跡と作品の関係や、制作行為を通した現実の対象から引き出される表現のプロセスは希薄になり、対象と画家の見る / 見られる関係、モティーフの意味のあり方も変化する。 それは画面空間とともに受容のあり方も変化させ、装飾の領域と深く結びつく。 とは言えもちろん切り紙絵は、マティス固有の創意に基づいた、彼自身の感性や経験を活かした、彼自身の手で作り上げられた真摯な芸術である。

・No.90 アンリ・マティス(1869-1954) 《 ニースのアトリエ 》 1929 年 油彩、カンヴァス 46.5 x 61 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・91 アンリ・マティス(1869-1954) 《 青いポートフォリオ 》 1945 年 油彩、カンヴァス 55.3 x 46.7 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・93 アンリ・マティス(1869-1954) 《 オパリンの花瓶 》 1947 年 墨インク、紙 49 x 64 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館

・No.90 アンリ・マティス は 1921 年に、それまで滞在していたニースのホテルから、シャルル・フェリックス広場 1 番地の建物に部屋を借り、さらに 1926 年の秋以降この建物の最上階にアトリエを持ち、28 年の初め頃までには最上階全体を占有することになる(Washington 1986/1987, p.36)。 この最上階のアトリエは海に面した広い窓とバルコニーのある部屋で、壁は白いタイルのようなパターンで覆われていた。 マティスはこのアトリエを 1938 年まで使い、ここでモデルを使ったヌードを含め、いくつもの作品を描いている。



'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立グリューン美術館」 展のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・資料などからの抜粋文章です。

・画像をクリックすると 「ガブリエル・モントゥア博士の展覧会説明」 の場面が大きな画像でご覧いただけます。

「ベルリン国立ベルクグリューン美術館」

ベルリン国立ベルクグリューン美術館 Museum Berggruen, Nationalgalerie - Staatliche Museen zu Berlin

Heinz Berggruen at his apartment in Paris, 1971  © Berggruen Archire ハインツ・ベルクグリューン パリの自宅にて 1971 年

ベルクグソューン画廊の展覧会 パリ 7 区ユニヴェルシテ通りのベルクグソューン画廊では、1952 年から、年に数回の企画展が開かれた。 1952 年 2 月に行われた最初の企画は、ベルクグソューンがこよなく愛したパウル・クレーの版画展があり、それに続いて、同年夏にマティスの版画展、1953 年春に 「アンリ・マティス: 切り紙絵」 展が開かれている。 彼のコレクションの中核となるピカソの展覧会も 1954 年春の 「ピカソ: 素描 1903-1907 」 展以後、たびたび開催されました。 また、これらの企画展にあわせて、縦 22 x 横 11.5㎝という小さな半型の、装いを凝らしたカタログが発行されている。 特に初期のカタログは、画家の作品をリトグラフやボショワール(型紙摺り) によって再現した美しい表紙が特徴である。 ベルクグソューンの美術品収集の原点は、このような美術商としての活動にある。 彼は多数の作品を売買する仕事の中で、自分が本当に気に入ったものだけを手元に残すことによって、粒よりのコレクションを少しずつ作り上げていったのである。

ハインツ・ベルクグリューンとベルリン国立ベルクグリューン美術館

 ハインツ・ベルクグリューン(1914-2007) はベルリンでユダヤ人の家庭に生まれ、1936 年、ナチス政権の抑圧を逃れてアメリカに渡り、評論や美術館勤務を通じて美術に親しみました。 第二次世界大戦後はパリで画廊を経営し、世界的な画商となります。 ピカソ、マティスなどの作家や文学者たちと親交を深めながら、敬愛する少数の作家の作品収集に打ち込み、一貫性のある個性豊かなコレクションを作りあげました。
 彼のコレクションは 1996 年から、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に面したシュテューラー館で公開されました。 その成功を受け、2000 年にドイツ政府とベルリン市の援助により主要作品がベルリン・ナショナルギャラリーに収蔵されますが、これは同国の美術館史上最も高額な購入のひとつです。 2004 年に収集家の 90 歳を記念して改称したベルクグリューン美術館は、ベルリン国立美術館群ナショナルギャラリーの一翼を担い、ヨーロッパ近代・現代美術を対象とする活動を行っています。 2007 年にベルクグリューンが他界した後も、遺族が同館への支援を続け、多数の作品を寄託しています。

 ヨアヒム・イェーガー博士(ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長【前館長】) | プロフィール
 ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長兼コレクション総括責任者。 2012-21 年には モダニズム建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの代表作であるベルリン国立新ナショナルギャラリーの改修を担当。 新たにベルリンに誕生する 「20 世紀美術館」(ヘルツォーク&ド・ムーロン設計、2027 年開館予定)の構想にも携わっている。 主な担当展覧会および著者に 『ウィリアム・ケントリッジ』(2007 年)、『ヴォルフガング・ティルマンス』(2008 年)、『ローザ・バルバ』(2021 年)など

 ガブリエル・モントゥア博士(ベルリン国立ベルクグリューン美術館統括責任者) | プロフィール
 ベルリン国立ベルクグリューン美術館総括責任者。 サルバドール・ダリを中心とした 20 世紀における西洋美術の政治、美術市場、メディアとの関係性に関する研究で博士号を取得。 2013 年よりベルリン国立美術館群、2018 年よりベルクグリューン美術館に勤務し現在に至る。 2021年には 「ピカソとアルジェの女たち」展を企画し、現在は今後 3 年間にわたる同館改修とその間の世界巡回を担当している。 その他の展覧会では、ベルリン旧ナショナルギャラリーでの 「旅への憧れ Wanderlust」展(2018 年)、ベルリン国立絵画館とロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館での 「ボッティチェリ:リ・イマジンド Botticelli Re:imagined」展(2015-16 年)などに共同キュレーターとして参加


お問合せ:050-5541-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:https://picasso-and-his-time.jp
国立西洋美術館サイト:https://www.nmwa.go.jp/
主催:国立西洋美術館、ベルリン国立ベルクグリューン美術館、東京新聞、TBS、共同通信社

後援:ドイツ連邦共和国大使館、ゲーテ・インスティトゥート東京
   協賛:DNP大日本印刷、あいおいニッセイ同和損保
協力:日本航空、ルフトハンザ カーゴ AG 、ヤマト運輸、西洋美術振興財団


参考資料:「ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」図録・ 展覧会表示パネル、報道資料、チラシ など。


ご意見ご感想は  yashio@mui.biglobe.ne.jp


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